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アルベルト・シュヴァイツァーの 神学における平和思想
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アルベルト・シュヴァイツァーの 神学における平和思想 |
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JaLC DOI | info:doi/10.34577/00004741 |
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アイテムタイプ | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper |
言語 | 日本語 |
著者 |
金子 昭
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著者別名 |
Kaneko Akira
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抄録 |
本稿は、アルベルト・シュヴァイツァーAlbert Schweitzer(1875-1965)
によるさまざまな平和論の中から、とくに神学及び説教の中で取り上げら れた平和論に焦点を当てて、彼の平和論のキリスト教的本質構造について 検討したものである。 最初に取り上げるのは、説教における平和論である。ここでの基本路線 は、信徒たちの日々の信仰生活に即した心の平安という形での平和思想で ある。しかし、それは決して単なる安静な状態ではなく、神の霊 Geist が その人自身の精神 Geist をしてこの世での活動へと駆動する力となる。そ こから平和は、人々の平和的あり方として同心円状に拡大し、最終的には 人類規模にまで至ることで、平和の国としての神の国をも示唆するものと なる。 次に神学的著作での平和論を問題にする。遺稿『神の国とキリスト教』 では、キリスト教の歴史に即して神の国観の変遷が詳論されている。その 最後の時期が20世紀後半の冷戦の時期である。この時、シュヴァイツァー の念頭には、まさに神の国の実現か、そうでなければ人類の滅亡かという 究極の選択肢すらあった。その時期までに、彼は生への畏敬の倫理思想や 人間性の理念などを通じて、広く人々にも訴える形で平和思想を説いて いた。 そこで最後に、このように一般的な形で説かれた平和論の根底にも、平 和の国としての神の国の理念が生き生きと存するところを論じる。生への 畏敬が最初に説かれたのが説教であることからも分かるように、生への畏 敬の思想には、普遍化されたキリスト教的平和論が反映している。それと 同時に、平和の理念はあらゆる宗教や思想にも存在するという確信があっ た。彼が文化哲学の文脈の中で生への畏敬や人間性の思想として平和論を 説いたのも、そこに理由があったのである。 |
雑誌名 | 人文科学研究 (キリスト教と文化) |
号 | 51 |
ページ | 35 - 58 |
発行年 | 2019-12-15 |
出版者 |
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
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ISSN |
2434-6861
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