@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00000008, author = {Aycock, Brian Johnson}, issue = {43}, journal = {人文科学研究 : キリスト教と文化}, month = {Mar}, note = {植村正久(1858-1925)の “Biographical Sketches” はF.W. イーストレー キ編集のThe Tōkyō Independent に掲載された日本古典文学の評論である。 その紙面が変色していたため、翻刻しながら丁寧に読む必要があった。こ の作業を通じて、これらの評論が単に西洋人への日本古典の紹介ではな く、彼のキリスト教信仰にも影響を与えていると確信するに至った。  植村は、海老名弾正との福音主義論争や、内村鑑三不敬事件に際して発 表された「敢えて世の識者に告白す」から知られるように、キリスト教を オーソドックスに語り、かつ社会的視野を以て政治的圧力と戦える人であ る。彼の論争的発言には、論敵の問題点を白日の下に曝す鋭さがあり、現 代の我々にも了解可能である。しかし、植村には、自分自身が困難のなか で祈りあかし、教会員や学生一人一人の心に寄り添う情にもろい、論理で は伝えきれない側面もあった。そのような姿を物語る証言は事柄の性質上 個人的で、その上植村びいきの発言として無視されることが多い。この欠 如を補うものとして文学論が助けになるのではないか。ことに今回紹介す る “Biographical Sketches” は、英語とキリスト教文化を介することで、 植村の時代から遠く離れた現代の我々に、植村の「感性」と、彼が「内な るもの」へ託した思いを伝えている。  “Biographical Sketches” は1886 年1 月から2 月にかけて、1. 菅公(菅原 道真)、2. 西行、3. 平家物語、4. 紀貫之の4 篇発表されたが、「菅公」は見 つかっていないので、西行以下の3 篇を翻刻・翻訳し、それらについて筆 者が着目した点を解題として付した。  「西行」では、西行の出家について、世を捨てた宗教者の姿が描かれて いる。他方で西行が歌と美に託した願いについては肯定的に捉えている。 こうして描かれる彼の禁欲と内面の情熱への共感が興味深い。「平家物 語」では、「諸行無常」の仏教的世界について鐘の音を題材に触れてい る。中心は興亡の激しい武士の時代に清盛という権力者に弄ばされた「白 拍子」が仏教に帰依する物語で、「仏性」の平等を紹介している。これは 植村の仏教論への入り口になったと思われる。以後、日蓮・法然によっ て、武士にとっての仏教とは何か、それが社会的にどう継承されていくか を問題にしていく。この点については稿を改めるが植村にとって宗教は本 質的に「エートス」だったのではないか。「紀貫之」では、『土佐日記』や 『古今和歌集』の序などを取り上げて貫之が模索した文学表現について語 り、併せて植村自身の和漢文学論を披瀝する。さらに、貫之の和歌では、 「花鳥風月」の詠嘆の世界を描くと共に、人が心のうちで憧れる「永遠」 への思いを英訳詩に滑り込ませているのが興味深い。  “Biographical Sketches” が、日本のキリスト教受容に際して起こった文 化接触・交流の解明に役立ち、さらに文化と宗教との関わりについて研究 を深める手がかりになることを願う。}, pages = {129--179}, title = {植村正久「伝記的スケッチ」:解題・翻刻・翻訳}, year = {2012} }