@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00005084, author = {斉藤, みか}, issue = {52}, journal = {人文科学研究 : キリスト教と文化}, month = {Dec}, note = {日本古典文学において「涙」は重要なキーワードである。『竹取物語』において、「涙」の表現は少ないようにも見えるが、物語終盤に集中してあらわれる「泣く」という表現は『竹取物語』において「涙」が人間の心の象徴であることを示している。『竹取物語』には不老不死で美しいが心を持たない月の人と、老いて死に、美しくないが心を持つ人間との対比が描かれる。物語を通してかぐや姫は人間の心を獲得し、月に帰るときに羽衣を着ることでそれを失ってしまう。人間の心の象徴として、「泣く」という表現が物語終盤に集中して描かれる。心を失ったかぐや姫は、羽衣を着てから泣くことはないが、地上に残された人間たちは泣き続けるのである。また、涙にまつわるパロディ的な表現は、『竹取物語』が自らの虚構性を自覚したフィクションであるということを示唆する。『竹取物語』にあらわれる二例の「血の涙」はいずれもパロディ的な側面をもっている。そして、求婚者の歌に詠まれる「袂が乾く」という表現も、ミメティックレベルでは問題がないがポエティックレベルでは気持ちがさめてしまったことを詠んでしまう歌となっている。パロディ的な表現が「涙」の表現を通して見えてくる。一方、現代の「かぐや姫」と題する絵本やアニメーションにおいて「涙」の表現は変わってしまっている。心の象徴としての涙は描かれず、かぐや姫は最初からよく笑い、よく泣く少女として描かれる。『竹取物語』においては「泣く」という言葉の主体は主に翁とかぐや姫であり、嫗に使われるのはわずか二例であるのに対して、現代版の「かぐや姫」では翁は泣いておらず、嫗だけが泣いているという表現のものも少なくない。映画「かぐや姫の物語」においてこうしたかぐや姫と嫗との密接な関係は顕著であり、映画で翁が流す涙は自らのせいでかぐや姫が月に帰ってしまうことを後悔する涙である。「涙」の表現を通して、『竹取物語』の主題と虚構性は明確になる。そして、そうした『竹取物語』の意義が現代の「かぐや姫」には見られないことも、「涙」の表現を通して明らかになる。}, pages = {163--184}, title = {『竹取物語』の「涙」 : 心の象徴としての涙とそのパロディ的表現の考察}, year = {2020} }