@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00004932, author = {Tatsuhiko, Itoh}, issue = {51}, journal = {人文科学研究 : キリスト教と文化}, month = {Dec}, note = {1990 年代から続くいわゆる「韓流」ブームは、今も衰えを見せていない。 音楽学の分野においても、安田、閔による日韓の学校唱歌の共同研究を一 例として、その後も、植村、高、宗、藤井らの充実した研究が続いてい る。今後は、日韓の関係だけでなく、欧米の影響を受けつつ近代化を実現 してきた他のアジア諸国の状況とも比較検討しながら、より広い視野での アジアにおける文化変容の問題を論じることが必要であろう。今日の急速 なグローバル化の中で、音楽学には、さらに重要な役割と新たな展開が期 待されており、その意味でも、アジアの音楽学者が、対話を通して協力し ながら、健全な未来を築いて行くことが望まれる。かつて1913(大正2) 年に発表された、兼常による朝鮮半島の伝統音楽の研究は、現地の音楽家 の協力を得て行われ、当時の政治社会的状況による限界はあるものの、一 つの理想的な学問的交流の態度を示す前例と言えるだろう。安田、閔、高 の研究による日韓の学校唱歌の詳細な継続的研究は、欧米、日本、韓国の 関係性の中で、1880 年代から1920 年代にかけて、どのように東アジアの 音楽文化が形成されたかを知る上で重要な業績である。1970 年代に発表 された、小泉による韓国音楽の研究において、韓国の遊牧民族に起源を持 つとされた「三拍子」の問題は大きな話題となった。日本では、一時はそ の学説が受容されたかに見えたが、本来、アジアの学者によって広く議 論されるべきであった課題であろう。1980 年代以降は、韓国の多くの演 奏芸能が日本で紹介されて特に関心を集め、これは2000 年代に入ってか らの、韓国の伝統音楽、ポップスに関する学問的関心の拡大に繋がった。 ウェスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラを通してのバレンボイ ムの活動にも象徴されるように、音楽、そして音楽家は、敵意という壁を 容易に乗り越えることが出来る。音楽学的関心を通して平和を実現するた めに、音楽学者がさらに協力して未来に向けて活動する必要があり、その ために、日韓だけでなく、アジアの音楽学者が協働しなければならない時 が来ているのである。李王朝時代、朝鮮通信使を通して日本と交流してい た詳しい記録が残されており、今日と同じように、国の違いを越えて、音 楽を含む、お互いの文物に人々は強い関心を持っていた。日韓の関係改 善が膠着している今だからこそ、相互の学問と文化の交流が重要なので ある。}, pages = {1--14}, title = {A Historical Survey of the Musicological Researches on Korean and Japanese Cultures: Perspectives for a Future Cooperation of Musicologists in Asia}, year = {2019} }