@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00004757, author = {アムール=マヤール, オリビエ}, issue = {13}, journal = {ジェンダー&セクシュアリティ}, month = {Mar}, note = {ヴァンパイアについての最近の映画やテレビドラマシリーズの中には、社会 的-政治的観点から、特に2 つほど注目に価するものがある。ギレルモ・デ ル・トロ (Guillermo del TORO ) によって制作された、アメリカのテレビドラマ シリーズ『ストレイン (The Strain)』(2014) と、ジョン・ローガン (John LOGAN) のイギリスのテレビドラマシリーズ『ペニー・ドレッドフル (Penny Dreadful)』(2014) は、ロマンティックな要素と性的な含意がすべて奪い去ら れた、まったく新しいヴァンパイアのイメージを描いている。 『ストレイン』と『ペニー・ドレッドフル』、どちらのケースにおいても、 ヴァンパイアはもはや、19世紀のブラム・ストーカー(『ドラキュラ』)、ある いは20世紀初頭のムルナウ(『ノスフェラトゥ』)によって描かれた、彼らの 祖先のように、ユダヤ人共同体の暗喩的な表象としては描かれていないことは 明らかである。実際には彼らは今では、イスラム原理主義者という侵略者のス テレオタイプとして描かれている。これらのドラマのどちらにも、政治的・経 済的衰退の中で構築されたスケープゴートの同じような輪郭を見ることができ る。  本稿では、初めにある1つの共同体(ユダヤ人)から別の共同体(擬似ムス リム)への、固定観念の転換を示す。  次に、ある1つのスケープゴートの姿が別のものへと変わることについて、 イスラム原理主義者のメタファーとしてのヴァンパイアを描こうとして過去か ら取り入れた、特徴的な姿を強調するために、本稿では2つのテレビドラマシ リーズを別々に提示する。  最後に、どのようにして宗教的な差別が、何らかの形で、ジェンダー/ LGBTQ差別と常に強く結びつけられているかを強調するために、(筆者がこの ように呼んでいる)「マイノリティ・ポリシー」の問題に焦点をあてる。}, pages = {29--47}, title = {政治的マイノリティとしてのヴァンパイア ーヴァンパイアのテレビドラマにおけるユダヤ人からムスリムへの変遷 (『ストレイン』と『ペニー・ドレッドフル』)}, year = {2018} }