@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00004526, author = {MORRISON, Lindsay R.}, issue = {10}, journal = {ジェンダー&セクシュアリティ}, month = {Mar}, note = {近代日本文化や文学において、「母」と「ふるさと」は同一のものと見なさ れることが多いものの、母の視点から叙述された「ふるさと文学」は極めて少 ない。ほとんどの場合において、母は主体ではなく、他人(たいていそれは大 人になった息子であるが)による想像、または記憶に宿る客体なのである。近 代日本は急速な西洋化を迎えたのにもかかわらず、家の中はいまだに近代以前 の家制度そのものであった。その家制度というのは、封建的な家父長制であ り、そこでは父は絶対的権力を握っていた。家制度では、母は家制度のなかで は位が最も低く、後継者を産む道具としてしか見られていなかった。しかし、 大人になった子どもがふるさとを振り返ったとき、その記憶の中では、絶対的 権力をもつ父の姿はなく、献身的で悲劇的な母親像だけしか残っていなかった のである。その過程により、母はふるさとの代表的なシンボルの一つとなった のである。なぜ母はふるさとを表象するようになったのか、そしてなぜ男性は ふるさとを美化し、理想化してきたものの、女性はそうしなかったのだろう か。  この論文では、三人の近代作家による三冊の短編小説の分析を通して、以上 の問いを検討する。短編小説は、清水紫琴の「こわれ指環」(明治24年)、森 鷗外の「半日」(明治42年)、室生犀星の「幼年時代」(大正8年)である。母 とふるさとの関係とふるさと意識におけるジェンダー格差を考察するために、 結婚制度や、家制度における母の位置や、家への帰属といった関連問題にも焦 点を合わせる。}, pages = {61--85}, title = {ジェンダーの視点からみる「母」と「ふるさと」 ̶明治大正期の三つの文学作品における家の構造をめぐって}, year = {2015} }