@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00004292, author = {伊藤, 亜紀}, issue = {47}, journal = {人文科学研究 : キリスト教と文化}, month = {Mar}, note = {サルッツォのマンタ城サーラ・バロナーレに描かれた《九人の英雄と九 人の女傑》(1420年頃)は、サルッツォ侯爵トンマーゾ3世(1356?-1416 年)による教訓的騎士道文学作品『遍歴の騎士』の登場人物である。その ひとり、二本の槍をもつアッシリア女王セミラミスの姿は、ボッカッチョ の『名婦伝』(1361-1362年頃)などで伝えられてきた「男勝りの烈女」や 「息子と交わった淫婦」という彼女の本質を説明するものではない。  しかしその右隣にいるエティオペの、長い金髪を梳く仕種は、ウァレリ ウス・マクシムスの『著名言行録』(1世紀)が語る、女王が身繕いの最 中にバビロニア陥落の報せを受け、すべてを擲って戦に身を投じたという 逸話に合致する。そしてこのセミラミス像は、ギヨーム・ド・マショー 『真実の書』写本(1390-1400年頃、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 22545) や『遍歴の騎士』写本(1403-1404年、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 12559)にもすでに見られる。ジェンティーレは、マンタにおけるセミラ ミスとエティオペの図像の取り違えは、画家が壁画制作にあたって直接手 本にした図に起因すると考えた。一方デベルナルディは、『遍歴の騎士』 におけるセミラミスとエティオペの詩節が、本来一続きのものであったと みなし、マンタのセミラミスは実際はアマゾネスのメナリッペ、そしてエ ティオペこそセミラミスであるとした。たしかにエティオペの皇帝冠や宝 玉、そして「青地に三つの金の玉座」という、フランス王家と同じ配色の 紋章は、彼女が9人の女傑のなかでも特別な存在であることを示している。 さらにアーミンで裏打ちされた黄金の縁取りのマントは、下に着た女性の 服を覆い隠し、その男性的気質を強調する役割を果たしている。  ウァレリウス・マクシムスが語り、ボッカッチョが加筆し、そしてフラ ンスの写本挿絵で視覚化された「髪を梳く女傑」は、代々フランスとの政 治的な繋がりを強化し、その文化の影響を色濃く受けてきたサルッツォ で、再度大規模に描かれた。しかしこの雄々しくも女性としての身嗜みを 忘れないというイメージは、必ずしもセミラミスに限定されたわけではな く、15世紀半ばには他の女傑にも共有されることになる。, 口絵有り。画像低解像度版/graphics in low resolution}, pages = {33--50}, title = {髪を梳く女傑──サルッツォのマンタ城壁画と『名婦伝』のセミラミス──}, year = {2016} }