@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00003377, author = {池田, 理知子}, issue = {34}, journal = {国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル, The Journal of Social Science}, month = {Oct}, note = {P(論文), 森田芳光監督作品「家族ゲームjは、変質する現代日本の家族像を描く風 刺的な映函である。この論文はどのようにして、この映画が日本の伝統的な 「家」制度が崩壊するさまを風刺的に表現しているかを分析するものである。 具体的には、「家族ゲーム」における空間の表現に着目し、それを通して 風刺の要素であるく00であること〉とく00であるべきこと〉の聞に生ま れる差異がいかなる形で明示されるかを考察する。バルトの神話とく超言語 〉の意味論的分析をもとに、この映画の様々な空間が持つ、対人関係のシニ 7イアンとしての役割を考える。バルトの言う神話とは、言語記号のレベル における一つの意味表象の意味作用を意味するものにし、第二次の意味作用 を出現させるく超言語〉の働きである。神話はまた、ある社会の支配的イデ オロギーのために作用し、く超言語〉は意味を構成する抽象的な要素に新し い意味表象を創造する。あらゆる文学的ジャンJレはく超言語>的であり、風 刺もその例外ではない。表現上に生まれるく00であること>とく00であ るべきこと>との差異はアイロニーであるが、風刺とはこうした差異の社会 的レベJレのシーニュなのである。映画に表象される現実は文化的に規定され るから、観客は作品にみられる現実とく00であるべき〉状態との問におこ る緊張関係に「面白みJを感じるのである。 日本の伝統的な「家」の概念は対人関係を一つの円環で表象することがで きる。一方、現代社会の「家族」は、「個人」としての主体性という考えが まだ生まれていない伝統的社会と比較すると、「個」としての自覚をもった 主体の集まりといえよう。三次元の空間や視覚的効果は「個人」または「自 己jの可視性を意識させるというが、「家族ゲームJでもこうした三次元的 な空間の感触を出すためにカメラを高い位置に据えたシヨットを多用してい る。また、セットの中心に奇妙に細長いテープJレを食卓として据えている。 それは、f円であるべきJ表象に反しており、異質な感覚を観客に与える。そ の「異質性」を理解するには、普遍的な風刺のレベル(ラング)と、日本文 化における神話のレベル(パロール)の両側面を分析する必要性がある。}, pages = {105--127}, title = {Degeneration of the Japanese Family: A Barthean Analysis of Spatial Arrangements in The Family Game}, year = {1996} }