@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00003239, author = {Nuckolls, Charles W.}, issue = {40}, journal = {国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル, The Journal of Social Science}, month = {Feb}, note = {P(論文), 南インドのドラヴイダ型親族体系は,もはや現実化されない理念で, 従ってそれ自体は基本的に「不完全」なものと特色づけられる( Trawick 1990)。男性は母親や姉妹を,女性は父親や兄弟を送り出す。しかし交差い とこ婚の原理が,たとえ直接でないとしても次の世代で代替えとして,送 り出された人たちを連れ戻すと保証するのだ。ある世代で婚出した女性は 次の世代で戻される。婚姻により離された兄弟は,かれらの子供たちの結 婚によりふたたび結合される。ドラヴイダ型親族体系は少なくとも理論上 は均衡を保たせる体系なのだ。しかし,この理論どうりには実際には行わ れない。それゆえ,この体系に託された願いも完全には,また時機にか なって,具体化L,実現したりはしない。南インドの親族体系は分与され た複数の役割に支えられた静的な形ではなく, 「自分の足跡を追う猟師の ような循環j (同書, I5 2)のような,解消されない緊張に保持された一 つのプロセスにほかならない。 親族体系に込められた欲求を満たさないままに,何世代間も交差いとこ 婚を躍動するのは何なのか? この間に答える前に,私たちに必要なの は,親族体系が幾つもの規則を押し付けたり,より高い次元の,構造を規 定するものの組合わさりと考えるのを止めるべきだ。南インドの人々が交 差いとこ同士で結婚する場合には,望ましい形の結婚という理由だけでな く, (より一般化して言うなら)交差いとこ婚が氏族やリニッジ聞の通婚 が長期にわたる縁組みを支えるからでもない(Dumont1970,1979)。多くの 人たちの意見はこの点できわめて明確だ。人々はそうしたいから交差いと こと結婚する。人々がそう望むのは,関係構築パターン(構造によって動 機づけられ,人々は他の人々に倣う)の結果だと考えてもよいかも知れな い。だが,このような説明は単純すぎる。どんなパターンも,それが「伝 統」を表象するのなら,自然に,また必然的に伝統を実現したいとの欲求 を創りだすと考えられる。しかし欲求はもっと複雑なものだ。私たちはこ の事実を7ロイトからだけでなく,社会心理学者たちから学んだ。欲求の 複雑性を議論するための語棄は,社会心理学の方がはるかに豊富で,ほん の二,三を挙げても「両面価値J,メdossonance壬, 「分割」, 「合理 化J. 「内面葛藤J,などがある(Festinger1971のすぐれたレピューを見 よ)。 「欲求jを親族組織の周縁にではなく中心に据えるのは,人類学では新 しく,他のアプローチとは異なる。他のアプローチとは,限られた財を支 配できる政治的な地位の獲得や保持に必要なさまざまな役割のなかに込め られた諸方策に応じて親族関係を規定するとか, 「権力」を強調する傾向 がある。Bourdieuは,一例として婚姻規則は社会的に広められた「嘘」 で,その目的は経済上,政治上の必要から人々に強いられる諸方策のシン ボリックな様々な効果を秘密にしておくためだと考える(Bourdieu1977: 43, Kartz 1994, LiPuma 1983も見よ)。 本稿では社会的パラドックス(逆説),抑圧された欲求,そこから生成 される両面価値,これらのダイナミックスを記述する。つぎに社会的パラ ドックスが占いのシステムに及ぼした結果を跡づける。占いのシステムの 中で人々は乱された近親関係に不幸をもたらす原因を探るのだ。最後にア メリカの心理療法術と比較するが,これは南インドの占いと同じくパラ ドックスで深く引き裂かれたシステムで,かつジェンダーの観念と強く関 わりあっている。}, pages = {57--75}, title = {PARADOX IN SOUTH INDIAN DIVINATION:A STUDY IN CULTURAL AMBIVALENCE}, year = {1999} }