@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00002567, author = {PRAGATWUTISARN, Chutima}, issue = {9}, journal = {Gender and Sexuality}, month = {Mar}, note = {クレオ・オザール (Cleo Odzer) の『パッポン通りの姉妹たち』(Patpong Sisters) は、タイにおけるフィールドワークの模様と、研究対象であるパッポ ン通りの風俗従事者たちと著者との関係を自伝的に語った、ハイブリッドな形 式の書物である。ジャンルを超越することにより、オザールは民族誌学のディ スクールを個人的な語りとして再構築することに成功している。それこそ、著 者が民族誌学の領域から排除されていると感じ、読者に伝えたいと望んだ側面 であった。批評家たちは、地元民に西洋諸国に対する劣等感を植えつけるため に、植民地政策において民族誌学のディスクールが巧みに利用されてきたこと を指摘している。オザールは『パッポン通りの姉妹たち』を書くことを通し て、そのような民族誌学における書くという行為の伝統そのものを更新し、再 解釈することを試みているのである。題名こそ『パッポン通りの姉妹たち』だ が、本書における語りは民族誌学者であるオザール自身をパロディ化したもの に他ならない。自照的な態度で書かれたこの書物は、民族誌学者として他者に ついての知識を求めるオザールを中心に展開しながら、伝統的な民族誌学者に つきものの自信過剰、知ったかぶり、尊大などといった性質を突き崩してゆ く。混乱し、自らの研究対象に圧倒されて疲弊してゆく民族誌学者の像を描き 出すことで、オザールは研究する側とされる側の関係性がとても脆いものであ り、両者の遭遇や、異文化間の交流の度に、それが危機に瀕していることを示 唆するのである。}, pages = {139--167}, title = {「ファラン」と呼ばれた民族誌学者 ―クレオ・オザール『パッポン通りの姉妹たち』 における民族誌学的アイデンティティの問題}, year = {2014} }