@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00001153, author = {マーハ, ジョン C.}, issue = {46}, journal = {国際基督教大学学報. I-A, 教育研究, Educational Studies}, month = {Mar}, note = {P(論文), ピジンとは多言語が存在する状況の中で新たに発生した言語であり,固有の特徴をもち,かつ体系だったシステムを持っている。ピジン・クレオールの研究は,異なる言語を持った人間が互いに接触する際に,言語はどのような形で存在するかという問題に関連している。日本は多数の言語が存在する地域であるため,様々なピジンも存在する。しかしこれまで詳細に言語学的に研究されたピジンは少ない。そこで本論では,多言語的環境である日本の中で,ピジンは新旧の歴史をもつ言語現象であることを述べる。言語どうしの接触は大陸から人間が日本本土に移動してきた縄文-弥生期に始まった。これは大陸からのアルタイ語族(弥生人)とマレー・ポリネシア語族(縄文人)の接触である。「港ピジン」は16世紀に九州で発生して以来今に至っており,日本語とスベイン語のピジンである「長崎ピジン」はその例である。沖縄にも日本語と琉球語のピジンが存在する。1980年代以降は,都市で働く外国人労働者の間で「Gastarbeiter(外国人労働者・出稼ぎ)ピジン」が発達した。このような言語接触のなかには,琉球語と日本語の接触のような言語どうしの接触の例もあれば,同言語の亜種どうしの接触(例えば方言間接触)もある。より「軍事基地ピジン」は世界中で見られるもので,日本にも「浜松ピジン」などの例がそれにあたる。小笠原諸島は歴史的にも長く英語のコミュニティがあるが,ここではミクロネシア語,ポリネシア語,日本語,英語の言語接触が19世紀から始まった結果ピジンが形成された。本論は日本におけるピジン・クレオールの歴史の概略であるため,日本語と日本語手話などのピジンについては述べられていない。しかしこの歴史を見るだけでも,日本が多言語的環境にあることは明らかである。}, pages = {173--185}, title = {日本におけるピジン・クレオール言語の歴史}, year = {2004} }