@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00000113, author = {伊藤, 亜紀}, issue = {39}, journal = {人文科学研究 (キリスト教と文化), Humanities: Christianity and Culture}, month = {Mar}, note = {チェーザレ・リーパの図像学事典『イコノロジーア』(1593年初版) にお いて定義されている5種類の「節制」の擬人像のうち、一人は「ポルポラ の服を着た女性」である。すなわち「節制」とは「中庸」であり、それは 「ふたつのまったく異なる色」の「合成物」たるポルポラの服によってあら わされるのだという。これはポルポラが二色の合成色であることを最初に 明言したという点で特筆すべきものであるが、リーパはこの知識をいかに して得たのであろうか。  古代のプルプラ貝による染色はとうに廃れ、15世紀の染色マニュアルや 衣裳目録には、「ポルポラ」という色名すら見いだすことはできない。チェ ンニーニ等による諸文献は、ポルポラが赤と青の合成色、もしくは赤その ものとみなされていたことを間接的に伝えているが、いずれにせよポルポ ラはすでに一般的な色彩用語ではなかったことが理解できる。  16世紀に各種出版された色彩象徴論からも同様な事情が窺える。エク イーコラ、テレージオ、モラート、リナルディ等は、ポルポラを古典文学 作品に頻出する色と認めつつも、それを単に赤をあらわす色名の一つとみ なしているに過ぎない。  しかし1565年、紋章官シシルの『色彩の紋章』のイタリア語訳が出版さ れたことが、イタリア人のポルポラ観を変えることになった。この書の第 一部では、紋章を構成する基本色として金、銀、朱、青、黒、緑、プール プルが論じられているが、そこではプールプルが「他の [6 つの] 色で出来 て」いる合成色であることが明言されている。さらにシシルは、プリニウ スや聖書の記述からプールプルが王や皇帝に属する「高貴な」色であるこ とを強調しており、このことはイタリア人にポルポラの象徴的価値を再発 見させることにもなったと考えられる。  シシルの論はイタリアで版を重ね、ロマッツォの『絵画論』等、16世紀 後半以降に書かれた色彩象徴論に大きな影響を与えたが、リーパも寓意像 の服の色彩を決めるにあたってこれを参照したことは間違いない。とりわ け『イコノロジーア』におけるポルポラを着る寓意像の説明には、シシル のプールプル論が色濃く反映されている。さらにポルポラを二色の合成色 とみなす考え方も、『色彩の紋章』第二部における、プールプルは「赤と黒 のあいだの色であるが、黒よりも赤により近」く、「藍か青の色をもつ」と いう記述を踏まえたものだと考えられる。したがってリーパの言う「ふた つのまったく異なる色」とは、赤と黒、もしくは赤と青と考えられるが、 それを明らかにしなかったのは、ポルポラが人によってさまざまな色名で 言い換えられる色調の定まらぬ色だからである。}, pages = {107--127}, title = {チェーザレ・リーパの「ポルポラ」}, year = {2008} }