@article{oai:icu.repo.nii.ac.jp:00000111, author = {川島, 重成}, issue = {39}, journal = {人文科学研究 (キリスト教と文化), Humanities: Christianity and Culture}, month = {Mar}, note = {報復の正義は現代においても未解決の問題である。古代ギリシア人はこ の問題にどのように対処したか ―― これを問い直すことで、ギリシア文学 における「人間とは何か」を考える。   ギリシア語の〈ディケー〉=正義は、端的に「報復」を意味する。し かも人間社会のみならず、自然界をも貫く原理であり、人間の振舞いを見 張る力として女神〈ディケー〉ともなる。  『イリアス』は報復を内包する名誉をめぐる叙事詩である。アキレウスは アガメムノンに対する怒りを募らせ、「ゼウスの名誉」を希求するに至る (第9歌)。この「ゼウスの名誉」は英雄社会の習いとしての名誉=応報観に 基づくものでありつつ、同時にそれ以上の何かを指し示している。それが 『イリアス』第24歌のトロイア王プリアモスとアキレウスの出会いに結実 する。憂いなき神々との対比から生じた、悲惨の中にこそ輝く死すべき人 間としての品格を二人の英雄が敵・味方の区別を越えて互いに感嘆しあう ―― ここにほとんど奇跡的に「人間に固有のもの」が形をとったのである。  ギリシア悲劇『オレステイア』の第一部『アガメムノン』におけるク リュタイメストラの夫アガメムノン殺害は、『イリアス』では暗黙の前提と して受容されていたトロイア戦争の正義を問う行為であった。復讐が復讐 を呼ぶこの悲劇は、ゼウスの正義とアルテミスの正義、男女の在りよう、 国家の法と家の血の絆の真向からの対決を描く。〈ディケー〉が孕む深刻な 問題 ―― 一方の正義は他方から見れば不正義でありうる、という問題 ―― は、人間世界では遂に解決を見ず、第三部『エウメニデス』で、アテナイ の裁判制度の縁起にまつわるアテナ女神の英断 (オレステスの無罪判決) を 待つしかなかった。これは復讐の女神 (エリニュエス) の恵みの女神 (エウ メニデス) への変容 (本質的にはゼウスの変容) を伴なう宇宙大の出来事で あった。  このアイスキュロスの壮大な実験は、しかしギリシア文学史ではついに 一エピソードに終わった。エウリピデスの『ヒッポリュトス』は、愛の女 神アプロディテが純潔の女神アルテミスのみを崇拝する青年ヒッポリュト スに神罰を下す悲劇である。アルテミスはヒッポリュトスを救うことも、 彼の悲惨に涙することもない。むしろアプロディテの愛するアドニス殺害 を暗示して去っていく。両女神はいわば夏と冬のように自然の秩序=報復 の〈ディケー〉の反復を担っている。その神々の世界の円環が閉じた外側 で、瀕死のヒッポリュトスと父テセウス ―― アプロディテの代理人とされ て息子に呪いをかけた ―― は、過誤の告白と赦しの言葉をかけあう。エウ リピデスはギリシアの伝統的な神々の世界の枠組が崩壊した後の時代、や がてキリスト教の福音が種播かれるに至る土壌を、はるかに指さしていた。}, pages = {47--72}, title = {人間と人間を超えるもの ── 古代ギリシア文学における 名誉と報復の正義の問題をめぐって ──}, year = {2008} }